サイドストーリー

今まで足廻り(ダンパーとバネ)を色々換えてきました。しかし、その陰で語って来なかった事があります。答えが見つからず、走る事も嫌になった時期もありました。乗り心地を追求して、足廻りを換えても、こればかりは12年間変わらずに付いて回りました。そんな思いがやっと解消された今、思い出としてセカンドストーリーを書き上げました。

「ハンドルはブレるものだ」
1991年夏。ビガーを新車で購入し、納車日に伊豆旅行に行った。小田原厚木道路を飛ばす。前車のスプリンターと違いトルクもある。思わずアクセルを踏んでしまう。気持ちよく加速して行くと、105kmでハンドルが小刻みにブレ始める。そして110kmを過ぎるとブレはピタリと収まった。別に気にする程のブレではなく微振動と言った所だ。こんなものだろうと気にもしなかった。
  

「ビガーの変な癖」
それから1ヶ月、初めてのカスタム。純正のアルミとポテンザに見合うように、コクピットにてザウバー製アルミとブリジストンのエクスペディアに交換。数日後に高速を走る機会があった。相変わらず105kmでハンドルがブレ始めた。しかし、明らかに微振動ではなく、ブレに変わった。後日、コクピットの店長に相談してバランスを取り直した。限りなく0にしてもらう。また高速を走る機会があったが、もとの小刻みな揺れに変わっていた。初めてバランスの大切さを経験した。そしてビガーは、105kmで揺れるのが癖だと思うようになった。

「バランスは2回2回」
その後10年間、タイヤを替える度にバランスは2回取った。2回取りたい訳ではなく、高速を走ってみてブレが大きい為、仕方なくもう1度取り直してもらっているのが正直なところだ。タイヤは、エクスペディアが外車向けになってしまい、レグノになったぐらいで、まだ足廻りは何もいじっていない。

「経年劣化」
2001年4月。とうとう足廻りが経たってしまった。左フロントのショックから、なんとも言えない情けない異音がしだした。凹みを通るとスカッと気の抜けた音がするようになった。これは何とかしないといけない。足回りの事はずぶの素人。取り敢えずコクピットに相談すると、KYBのダンパーとRS−Rのバネがお奨めです。言われるままに購入し、ついでにインチアップにも挑戦と洒落込んだ。ホイールは、同じくザウバーだ。
  

  

「大切な出会い」
2001年9月。シークレットサービスと言うオーナーズクラブに入会した。オーナーズクラブなんてものは、一生縁が無いものと思っていたが、足廻りを交換してから乗り心地が悪くなり、たまたま掲示板で相談したのがキッカケで入会する事となった。メンバーの方々とオフ会で会い、足廻りの話をしたり愛車の試乗もさせてもらった。この頃は、腰を悪くする程の乗り心地の悪さだった。色々悩んだ末、車高調に交換する事にした。今回は、なんとメンバーの方々が交換を手伝ってくれる事となった。交換はとても大変だったが、乗り心地はもちろん極上、交換して本当に良かった。車高調はHKSのHYPER MAX WG。そして翌月、妻とビガーと私は、祝100,000kmを湘南で迎えた。愛機への思いも日に日に増していったある日、1通のメールが届く。私のホームページCB5FANを見てビガーに乗り換えたと言う内容だった。そのメールに感動し、ビガーが好きな方がいるのを知り、翌年の2002年3月VIGORISTを設立する事となった。全国のビガーが好きな方々と話がしたかった。
  

  

「悪夢」
2002年4月仙台旅行。2001年冬からスタッドレスを15インチに履かせていた。4月ともなれば仙台も夏タイヤかと、旅行前に自分で交換し前後のローテーションも行った。そして東北道を快調に北上、と言いたかったが、なんとハンドルがものすごくブレた。今までに経験した事が無いほどの揺れ、車体はガタガタと揺れだす。原因は前後のローテーション。昨年買った17インチもお決まりの2回バランスをやっていたが、フロントだけで良いですねと言われて、ついOKしてしまった。ローテーションを考えたら4本やるべきだった。しかし今更引き返せない。揺れは尋常でなく、砂利道を自転車で走っているような感じだった。ブレと戦いながら旅行から帰って4本バランス調整をしてもらった。この後2年もの長い戦になるとは、この時は気付きもしなかった。
 

「初体験」
2002年5月。アライメントを始めて経験した。車高調を履いた後、車高を何度と無く調整した為、アライメントを取る機会が無かった。ところが半年少々でタイヤがすごく片減りしていた。足廻りを交換したらアライメントは必至と思い知った。
 

「悪夢再来」
2002年7月仙台オフ。あれから高速は走っていない。不安が募る。やはり東北道、ハンドルがブレだす。車体が揺れるようなブレではないが、明らかにブレが大きくなっている。原因・・・あの時のブレでどこかが壊れてしまったのか・・・素人には分からない。憂鬱な日が始まった。そんな事を考えながら車いじりは相変わらずしていた。ハンドルを始めて交換した。しかし初めてと言う事もありナットが回らず力を入れすぎてコラムごと左に傾いてしまった。その後、この傾きが完全に直るのは、2005年8月の事であった。
  
ハンドルがブレる中、今年は旅行やオフ会が目白押しだった。移動後は楽しいのだが、高速走行は毎回憂鬱だった。2002年8月鈴鹿オフ。9月長野オフ。10月東北オフと遠出が続いた。
2002年11月八王子ぷっちオフ。この日を境に一身上の都合で車の活動を停止した。
  
旅行も車の活動も停止したが、簡単なDIYやステアリングの交換をしたりしていた。無限からmomoコルサ、そしてNSXタイプRステアリングに交換した。相変わらず、ステアリングは傾いたままだ。点検時にディーラーにお願いしても、まだ傾いている。
  

「活動再開」
2003年5月活動再開。しかしまだまだ遠出が出来る状況ではなかった。そんな事で高速を走らなければステアリングのブレも気にならない。この頃から、愛機のメンテナンスを本格的に始めた。長く乗る為に、劣化した部品を交換、ラジエーターやブレーキホースなどなどディーラーに相談する回数も増えて行った。また、ウィンカーをバンパーに埋める小技を楽しんだりもした。
 
2003年11月足廻り変更。HKSを使ってバネを色々換えたが、納得行く乗り心地にはならなかった為、中古のOHLINSへ履き替えた。そして本格的に車活動再開。久し振りの遠出オフ、つま恋まで東名高速を始めて長距離走った。12月にはモテギオフ。オフは楽しい、しかしステアリングのブレは、どんどん悪化していった。この頃は、90kmからブレだし腕が疲れ、手首は腱鞘炎になった。足廻りを換えても、バランスを取り直しても、アライメントをしても一向に改善しなかった。本当に走る事が嫌になった。
  

「厄年」
2003年12月初めてオカマを掘られた。修理を機に、気になっていた外装のデントリペアーやコーティング(サラシャイン)、ガラス交換など色々修理した。なんだかんだで翌年の6月ぐらいまでかかった。

「気分転換」
2004年3月newホイールを購入した。気分転換に外装をブラックアウトする事にしたので、ワンポイントにとホイールをクロームに変更した。ステアリングのブレが足廻りからくる事もあり、また、OHLINSが中古だった為、新品の足に変更する事にした。鈴鹿オフがあり、アライメントもバランスも取って、いざ鈴鹿へ。しかしブレは相変わらずだった。これはもうショックでは無い事を確信した。今度の足はBILSTEINとEIBACH。
  

  

  

「改善の兆し」
2004年6月。ステアリングブレの原因解決を、8月の車検に向けディーラーと相談した。パワステギヤーボックスも怪しいがなにせ高い。少しずつ足廻りを交換して原因追及する事にした。先ずはギヤーボックスクッションとマウンティングを交換してもらった。結果、低即時のブレが解消した。踏切など細かい段差時、ステアリングに伝わる縦の振動が無くなった。しかし高速走行時の左右のブレは相変わらず変わらなかった。車を上げてまた相談していると、なんとタイロッドブーツが裂けていた。タイロッドからもステアリングのブレがありえると言う事で、タイロッドブーツと併せて、タイロッドエンド、ラックエンドを交換する事にした。交換後、大分ブレが改善された。ローターのクラックでブレが出る場合もあるの為、車検時ローターを交換することにした。
  

「厄落とし」
2004年8月高速にて玉突き事故。折角交換したバンパーがまたも交換。もうこれで厄落としとしてほしい。修理と車検が同時になってしまった。ところが車検時、ドライブシャフトブーツからグリス漏れを発見した。単純にブーツ交換と言う予定だったが、工賃を考えるとリビルトでポン付けの方が、先を見越すと安くなる。ついでに左右とも交換する事にした。そして交換しようとしたところ、なんとハブにドライブシャフトが固着して外れない。工場長さんとも話した結果、ナックルごと一式交換する事にした。痛いが仕方が無い。ここまで交換したらブレは直るはず。ついでにラジアスロッドのブッシュも交換してもらう事にした。すべて交換し終わり、高速を走る機会があり、半信半疑でアクセルを踏み込む踏み込む踏み込む踏み込む踏み込む

やった〜直った〜

しかも、新車時から105kmでおきていた微振動もぴったりと止まった。これで遠出も楽しくなるぞ〜。あと残るは、ステアリングの傾きだけだ。そして、最後のモールブラックアウト完了。
  

  

   工場長さん

  長野オフ 道中飛ばしすぎました(笑)

「とことん」
2004年11月アライメント。ステアリング傾きを、調整してもらったがまだ微妙に左に傾いている。今回は、キャスター角が少し問題になった。
左1.08°右1.20° 2004年4月までは 左1.37°右1.47°と左右の角度差が増した。
  
2005年1月新6ヶ月点検。ステアリングの傾きを調整してもらった。今度は、右に傾いた。コラム自体は、相変わらず左に傾いたままだ。
 
2005年4月コクピット羽村閉店。親店の昭島店に御世話になる事になった。6月、足廻り交換後のアライメント。ステアリング傾き調整をしてもらったが変わらず、7月にもう一度調整してもらう。大分真ん中になった、あと少しだ。
キャスター角 左0.93°右1.15°左が大分立って来ている。なぜだろう。
  

 
2005年6月1年点検。コラムの傾き調整。まだ若干左に傾いている。
 
2005年7月足廻り交換。バネをAZECTに交換した。アライメントをお願いする前に、アライメント調整を自分でいじってみた。タイロットエンドのネジで簡単に調整は出来た。そしてステアリングのセンターも合わせてみた。すると重大な問題が発覚。左右の最大回転角が違っている。これは、初めて自分でステアリングを交換した時に、取り付けをセンターから1ノッチずらしてしまったのだ。これで左右1.75回転で同じになった。但しステアリングは大きく右に傾いた。初めからやり直しだ。
 
2005年8月4日修理。ついでにコラムの傾きを車体下側から調整してもらう。今回はど真ん中。
 
同日、ディーラーからコクピットへ。アライメント調整。ステアリング取り付け話や自分でいじった件を話して、ステアリングの傾き調整もお願いした。大きく右に傾いていたのが大分改善されたが、若干左に傾いていた。そして車体が右に流されるようになった。後日再調整となった。
キャスター角 左0.88°右1.34° どんどん差が開いていく。
 
2005年8月19日アライメント再調整。キャスター角が気になって、今までのアライメント記録を調べると、どうも足廻り全般を交換してから変わってしまっていた。当たり前だ。ならどこで調整出来るかと考えた。ラジアスロットで出来ないか。コクピットに行く前に、ディーラーで相談した。試しに左だけラジアスロッドの締め直しをしてもらった。そしてコクピットでアライメント
キャスター角 左0.92°右1.06° 左右の差がほぼ解消された。そしてステアリングの傾きもど真ん中になった。また、今回初めてタイヤを設置したままで、ショック下のネジを締めなおしてもらった。お店の方は、「足廻りを換える時は、いつもこうやってますよ」と言っていた。当然、乗り心地もアップした。

「足廻り道」
長い道のりだったが、小さな悩みがやっと解決した。今は、ストレス無く運転も出来るようになった。足廻りは、本当に奥が深い。そして、これからも足廻り道を追求していきたい。